「祝福された者」 02−09−01 ルカ1:26〜45
<おめでとう。恵まれた方。主があなたと共におられる>、
<あなたは女の中で祝福された方です>と言われているのは、
マリアです。ナザレという小さな町に住む、ヨセフとの結婚を控えて
いた女性です。そのマリアが、神のみ子を身ごもると天使は告げる
のです。それは大変なことであっても、マリアにとってうれしいこと
ではありませんでした。
「恵まれた方」と言われても、マリアは戸惑いました。
恵みも祝福も、神から与えられる事柄です。
それは、時に、人の願いを超えた仕方で働き始めるので、
人は戸惑います。
しかし、神さまの恵みは、人が想像できる程度の小さなことでは
ないのですから、人が思ってもいなかった仕方で始まり、思っても
いなかったような幸いへと進んでいくことがあるのも当然です。
マリアは幸いにも、自分の願いや期待よりも、神さまが与えようと
しておられることの方を重んじました。そうやって、初めの戸惑いから
大きな幸いに進んでいきました。神さまは、戸惑いのまま終わらせは
しません。マリアが戸惑いの中で心配していたことは、神さまご自身に
よって、取り除かれていきました。
残念なことに、神さまが与えて下さろうとしている祝福を、拒んで
しまうことがあります。事の始まりが、自分の願っていることと違うと、
すぐに拒みたくなります。
しかし、神さまの与えてくださることは、必ず大きな幸いにつながって
いくとの信頼を持って受け止めていく時に、私たちは思いもよらない
祝福にあずかる者となるのです。
「恵まれた方。祝福された方」との言葉が、礼拝に招かれている
私たちにも向けられています。マリヤは身ごもりましたが、私たちの
内にも主イエスは宿り、生きておられるのです(ガラテヤ2:20)。
神は、そんな私たちを恵みで満たし祝福してくださるとおっしゃる
のです。
私たちは祝福される者です。
ですから、戸惑いよりも神への信頼を持って、神が与えようと
しておられる幸いに進んでいけます。